北海道の厚岸
北海道の厚岸は、かつて国際的折衝のあった土地でした。
当時この辺の酋長は強大な勢力をもっていて、国際的に腕をふるっていたのです。
寛政元年(1789)に千島国後に起きた、蝦夷乱のとき松前藩に味方した12人の酋長を、当時松前応挙とまでいわれた、松前藩の家老、蠣崎波響が描いています。
彼らの服装は多少の誇張があるかもしれませんが、山鞄錦の上に緋ラシャの外義を羽織り、大陸渡来の犬や武器を手にしています。
それらからおしても国際的密貿易の拠点であったともいえるでしょう。
『夷酋列像』というこの画帳に描かれている、オッキネバッコという唯一の女性は、この地の者で、彼女の墓標が根付いたという伝説の水松を、土地では逆オンコと呼んでいます。
この老婆の墓には何か副葬の宝物でもあろうかと、欲張った連中がこの木の根元を掘って、老木が段々あやしくなったともいいました。
絶壁の上の砦趾にある老松ですから、いかにも何かかくされてありそうに思われるようです。
札幌旅行をしたときにでも、どこかお店の人にたずねてみるといいでしょう。
これは北海道の人ならみんな知っていることなのです。
厚岸湖の中の、天然牡蠣でできた牡蠣島で、植物群落の珊瑚草といわれる塩湿地植物は、最初ここで発見されたのでアッケシソウと名付けられました。
しかし、水質や水位の変化で衰えが目だって外海にある大黒島は、根室からbついている島と同じに、北の海鳥たちの楽園の一つ。
めずらしいコシジロウミツバメや花魁鴨というエトピリカ、ケイマフリなど数万の海鳥が、夏の北の海を生活の基地にしているのです。